◆はじめに
北スイス在住の環境ジャーナリストの滝川薫です。コロナ禍前には、スイスやオーストリアの持続可能な建築や省エネ建築をテーマとした専門視察に頻繁に携わっておりました。
海外視察が不可能な状況が続く中、今年(2021年)5月25日に本誌×YKK AP社の主催により、ウェビナー「エコ先導国スイスの持続可能建築最新セミナー」が開催され、そこで省エネ政策や持続可能な住宅地の傾向、木造建築事情についてお話させて頂きました。
本連載ではこのウェビナーの内容の一部を、三回に分けて紹介してゆきます。まず第一回目は「気候中立政策における建築の省エネルギー化-スイスの現状と課題-」の前編をお届けします。
プラスエネルギー率687%のゲルツェンゼー村の家の気持ち良い室内。スイスのパッシブハウスとエコ建築の任意基準であるミネルギー・P・エコ認証を受けている。設計事務所はHalle58
◆建物分野の消費量を半減して、100%再エネに
日本と同様に、2050年までの気候中立を政策目標に掲げるスイスでは、建物分野が温室効果ガスの24%を排出しており、交通分野の34%に次ぐ、2番目に大きな排出源となっています。
また、最終エネルギー消費量については、建物分野が42%を占め、最大の消費分野となっている状況です。
2011年に日本で起きた福島第一原発事故を受けて、スイス政府は脱化石エネルギーと脱原発を目指す "エネルギー戦略2050" を策定し、国民投票で可決されました。原発の電力を代替する新規の電源には、建物上の太陽光発電が最上位に位置づけられています。
このような背景から、建物分野は、スイスの気候・エネルギー政策において、最も重要な分野の1つとなっています。昨年末に連邦エネルギー庁が発表した展望によると、エネルギー戦略と気候中立の目標を達成するためには、建物分野は2045年までにエネルギー消費を-45%削減し、100%再生可能エネルギー(再エネ)に転換していく必要がある、とされています。
◆現行の規制基準 ~ニアリーゼロエナジー
そのような大転換に必要な基本的な技術やノウハウは、すでに成熟しており、2014年に改訂された現行の省エネ規制基準に反映されています。
新築ではニアリーゼロエナジーを旨とするこの規制基準では、戸建てであれば熱需要(暖房・給湯・換気)は35kWh/㎡年、暖房熱は16kWh/㎡年以下と定められ、簡易計算による許認可の場合、U値(W/㎡K)では外壁・屋根は0.17、窓は1.0、ドアは1.2以下が求められています。
また、庇や外付けシャッターといった、夏場の過熱防止対策の証明も必要です。
そして、熱源には原則として100%再エネによる熱(再エネ熱)を利用する事が義務付けられています。再エネ熱には、ヒートポンプや木質バイオマス、太陽熱、排熱が含まれ、加えて太陽光発電による電力の一部自給も義務となっています。
改修への規制基準では、熱需要は新築の1.5倍、壁のU値は0.25が最低限として求められています。熱源改修については、10%以上の再エネ熱率が定められていますが、後述するようにこれは不十分な内容となっています。さらには、電気温水器や電気暖房機の設置や更新は禁止されています。
ゲルツェンゼー村の家の外観。壁・屋根・床下のU値は0.1、窓は0.85。典型的なパッシブソーラーハウス。南北の屋根材に30kWの太陽光発電が設置され、消費量の7倍の電力を作る
◆建物省エネ化政策の40年
このような規制をはじめとする "建物分野の省エネルギー化政策" は、過去40年間にわたり、行政と建設業界が協力して段階的に進歩させてきたものです。
始まりは70年代。2度のオイルショックと並び、原発建設に反対する大きな社会運動が起りました。これを受けて、80年代には各州で省エネ・断熱規制が導入され、民間ではパイオニアの建築家らが今日の新築並みの省エネ建築やソーラー建築を手探りで実践し始めていました。
80年代末には、全国で熱需要の規制基準が120kWh/㎡年に統一され、それ以降、技術の発展に合わせて数年ごとにレベルアップしていきます。同時に国・州・自治体の建設局がエコバウ連盟を設立し、建材のライフサイクルエネルギーや健康性、建築の環境性を評価するノウハウを集積していきました。
そして、90年代に入ると、規制基準よりもレベルの高い省エネ建築を目指す活動が社会全体で盛んになり、98年には州の主導でMINERGIE(ミネルギー)という任意基準が導入されました。熱需要の制限値は、38kWh/㎡年でスタートしました。
その後、ミネルギーとエコバウを合体させたミネルギー・エコや、スイス版パッシブハウス基準であるミネルギー・Pなど、さらに先を行く基準も導入されていきます。
こうして規制基準で業界全体の底上げを行い、ミネルギーなどのトップランナーだけに助成を与え、業界の成長を促すという体制が整っていきます。
2004年の規制基準の改訂では、新築の熱源に20%以上の再エネ熱を利用する義務が導入され、重要なマイルストーンとなりました。2008年には暖房用オイルとガスにCO2税が導入され、省エネ改修助成に政策の重点が移行してゆきました。
2010年以降には脱原発政策への舵切、ニアリーゼロエナジーへの規制基準の改訂、パリ協定への批准が続き、昨年末には気候中立を実現するために、建物へのCO2排出規制を含むCO2法が策定されました。
ただ、この法律は二週間前(2021年6月13日)に国民投票により僅差で否決されてしまい、現在は代案が検討されているところです。
◆政策の成果 ~住面積が増えてもCO2は減っている
これまでの規制基準の段階的な強化により、新築の熱需要は1975年からの40年で75%減少しました。そして、規制基準が20年をかけて元祖ミネルギー基準に追いつきました。
また、再エネ熱率の義務化とCO2税により、この15年程で新築では再エネ熱源が普及し、特に戸建て住宅ではほぼ100%が再エネ熱源になっています。そのほとんどがヒートポンプで、7割が空気熱源、3割が地中熱源です。
それにより、近年では、太陽光発電の余剰電力で動かすソーラーヒートポンプが増加しております。
建物分野全体を見ても、過去20年で暖房用オイルの需要は半減しました。
建物の熱消費量についても、人口増加により住面積が30%増えたにもかかわらず16.6%減っています。温室効果ガスの排出量も1990年比で34%減り、九州ほどの大きさのスイスで52000棟の建物がミネルギー認証を受けている事も成果と言えます。これには戸建てだけではなく、集合住宅や公共建築も含まれます。
築180年の文化財指定の農家・畜舎建築を9世帯住宅に省エネ改修したヴァイヤーグート集合住宅。納屋だけにレンガ色の太陽光発電の設置が許可された。設計事務所はHalle58
◆まとめ
連載第1回目となる当記事では、スイスの気候・エネルギー政策において最も重要な分野である建築分野での、これまでの対策と成果の概要を紹介しました。
過去40年にわたる規制強化などの諸策により、省エネ技術や再エネ熱源のノウハウが集積され、それが現行のニアリーゼロエナジー規制に繋がっています。これまでの政策は、建物分野の熱エネルギー消費量や温室効果ガス排出量の削減、再エネ熱源の普及に大きな成果をもたらしましたが、改善が必要な点も多くあります。
連載第2回目では、2050年までの気候中立という目標から顧みた時の課題点について報告します。
次回、後編もお楽しみください。