フィンランドのヘルシンキ在住の大村裕子です。
フィンランドの建築について住宅を中心に、建築士の視点でレポートしていきます。
フィンランドを代表する建築家、アルヴァ・アアルト
世界的に有名なフィンランド出身の建築家と言えば、一番に名前があがるのがアルヴァ・アアルトです。アアルトは1898年に生まれ1976年に亡くなるまで、フィンランド各地で設計し数多くの作品を残しました。現在フィンランドではユーロが使用されていますが、フィンランド独自の通貨マルッカではアアルトの肖像画がお札に描かれていたほどです。
写真の左にいるのがアアルト、右はアアルトの2番目の妻エリッサです。1番目の妻アイノを病気で亡くした後エリッサと結婚、一緒に建築事務所で働いていました。(写真 アアルト自邸より)
アアルトは都市計画、住宅、公共建築、家具、照明など、大変幅広く設計しました。それぞれの建物に合った照明や家具を設計しています。またアアルトはヒューマンスケールを大事にしています。人が使いやすいデザインを考え、時にはドアの取っ手といった小さなものもデザインしています。
アトリエ兼住宅
今回はアアルトの設計した自邸を紹介します。
アアルトの自邸が完成したのは1936年、アアルトが38歳の時でした。自邸といっても、仕事場のアトリエも兼ねていました。1階にはアトリエ、秘書室、書斎、リビングルーム、キッチン等があり、2階には主寝室、2人の子供部屋等があります。
これがアトリエの様子です。天井が高く、気持ちの良い空間です。ここで所員と共に仕事をしていたのでしょう。現在はミュージアムとして手書きの図面が公開されています。
天窓の断面図です。アアルト作品では天窓が多く使われています。自邸でも2階のウォークインクローゼットの中等に使われています。フィンランドでは冬の日照時間が短いため、自然光を取り入れることが大変重要です。一年で一番日が短い冬至のヘルシンキでは、朝9時30分頃日が昇り15時過ぎには沈んでしまいます。
ここがアアルトのデスクです。さすがに特等席ですね、よい景色を見ながら設計していたのでしょう。
親しみやすい、ほっとする空間
photo by Sami Heikinheimo ,Archtours
次はリビングルームです。アトリエの隣にあり、庭に面して大きな窓があります。正直初めてアアルト自邸を見学したときには、すごさがわかりませんでした。なんだか失礼ながら、、、普通というか親しみやすいと感じました。木製の窓枠や扉などのせいか、とても暖かい印象を受けたのです。
親しみやすいと感じたのは、私が日本人だからかもしれません。というのがこの引き戸です。実は引き戸はフィンランドでは一般的ではありません。これはアアルトが日本の影響を受けて、採用したと言われています。
アトリエとリビングルームは引き戸で仕切り、さらに段差もつけて高さとしても区切りを設けています。アアルトは日本に行ったことがないそうなのですが、日本の建築に興味を持っており他の作品でも影響が見られます。
その後何度もアアルト自邸を訪れるうちに、アアルトのすごさがわかってきました。毎回新しい発見があります。
異なる2つの対比
アアルトの作品は、異なる2つの要素を対比させるのが特徴です。この写真は庭側からの外観です。茶色の木製外壁部分は寝室等のプライベートスペースを表しています。また白の外壁部分はアトリエやリビングルーム等のパブリックスペースを表しています。色を分け視覚的にも機能を示しています。
また道路側にはほとんど窓がなく外部に対して閉じられていますが、庭側には大きな窓をあり庭と繋がりを持たせています。外まわりのフェンスにも対比が見られます。壁のようにそびえたつ白壁と、農場にあるようなシンプルなウッドフェンスを両方使用しています。
また構造にも対比が見られます。基礎と地下にはコンクリート、主な耐力壁には鉄骨やブロック、また木造の壁もあります。2階の床には断熱軽量コンクリートが使われています。コンクリートの柱と鉄骨の柱が混在します。この対比させる手法は自邸だけでなく、後年の様々な作品で見ることできます。
新しいアトリエ
1950年代にはスタッフが増え自宅兼アトリエでは手狭になり、新しく専用アトリエを建設しました。新しいアトリエは、自邸から徒歩10分の場所にあります。
アアルト自邸、アトリエは一般公開されています。そしてこのエリアは、ムンキニエミという高級住宅街です。もしヘルシンキに来られる機会があれば、アアルト自邸とアアルトアトリエの見学はもちろん、このエリアを散策することをおすすめします。アアルト自邸からアトリエまで歩くと、アアルトもこの景色を見ながら仕事に向かっていたのだなと実感することができます。
次回も、「フィンランド建築家の巨匠 アルヴァ・アアルトによる住宅 その2」を紹介します。お楽しみに。